「ハウジング重兵衛」は、木挽き(木こり)の仕事をしていた初代重兵衛が、のちに隠居にでて、材木商をしたことから始まりました。現在の会社の名前は、この初代「重兵衛」からとったものです。
2代目の周太郎は、当時の学校名はわかりませんが、今の一橋大学に通っていた頭のいい人でした。
3代目の重雄は「梁算段(はりさんだん)の重兵衛」を確立した人であり、梁算段の腕は誰にも負けなかったそうです。梁算段とは、梁はまっすぐに加工されている木材とは違って、どのように梁組みをしたら意匠的に綺麗に仕上がるかを考え、また、それぞれの木材が持つクセや曲がり・反りなどを読み取り、梁の力が十分に発揮できるように加工することをいいます。
重雄は私の祖父にあたる人ですが、重雄じいちゃんとの想い出はたくさんあります。その中でも印象に残っているのは、テレビの奪い合いです。
重雄じいちゃんは相撲が好きで、私はマンガが好きだったので、よくチャンネルを奪い合っていました。当時のチャンネルはボタンではなく回すもので、取り外しができたので、家のテレビはいつもチャンネルがなかったのを覚えています。
そして4代目の重太良が、祖父の技術を受け継ぎました。ちなみに私の父です。
私の子供の頃は職人が多くて30人位いました。私の家にも父の弟子が3人屋根裏部屋に住んでいて、家のことまでよくやってくれました。
私の中では父の存在が一番大きく、中学くらいまでは恐くてあまり口をきけませんでした。
それでもずっと父を目標に頑張ってやってきたような、父に誉められたくてやってきたような、そんな気がします。
5代目 重行 私です。
高校時代から、建築の勉強をしてきました。
私が建築設計の学校に行ったのも、父に行けと言われたのがきっかけです。専門学校を卒業した後は、大工の修行に入り、23歳で結婚。当時、妻は銀行に勤めていたのですが、38歳の時に辞めてもらい、「菅谷工務店」から「ハウジング重兵衛」という会社にしました。その頃は私が営業兼大工で、なんでもやりました。会社を立ち上げたときは、「まず自分ができてから人に来てもらうんだ」という気持ちがあったのですが、妻と2人で年間15棟を手がけたことで自信がつき、私たちの他に営業・大工・設計・監督を集め、少しずつ大きくしていこうと一生懸命やってきました。
今思うと、私が大工の仕事を始めてから28年が経ちますが、あっという間の28年間でした。






































